十数年前。
体の不自由な義母の世話をしていた私
は、知らないうちに心が疲れているの
に気がつきました。
大好きな音楽を聞いても、大好きな茶道
をしても、大好きな花をみても、私の心
は癒されませんでした。
今日は、そんな時にであったことばを、
紹介します。
心が疲れてしまったら?
1 反省
反省することにより、心の曇りを
とり除く。
神の光を浴びることにより、マイナ
スの霊気、邪気を追い払う。
2 希望
希望の灯を心にともす。
希望はまさしく闇夜を照らす灯台の
光です。 希望がある限り、人間は
何とかやり抜く力がわいてくるもの
です。
お金がなくとも、愛する人がいなく
とも、人間は生命ある限り、希望を
心に抱くことはできるはずです。
3 祈り
精神的に疲労している時というのは、
霊的パワーが減少している時なのです。
霊的な充電が必要だということです。
祈りという行為は、この地上界の人
間と、天上界の高級霊との間を架橋
する働きをするのです。
祈りという名の橋が架けられて、初
めて、高級霊の光のエネルギーが流
れこんでくるのです。
他力による光明パワーの充電がとても
大切なのです。
4 不動心
しっかりした重心を魂の奥底に持つと
いうことです。 人間の心が、単なる
振子のように揺れているのでは困りま
す。
あの起き上がりこぼしのように、どん
なことがあっても起き上がるためには、
しっかりした重心が必要です。
この重心こそ神に対する深い信仰とい
えるかもしれません。
何であれその人にとっての重心を持つ
ということが肝要なのです。
5 精進
霧というものはじっとしていても晴れ
るものではありません。
霧というものは、前進これ前進に努め
る時やがてうそのように晴れてゆくも
のです。 常に前向きに努力精進して
ゆくということです。
精進はどのような停滞をも打ち破るパワ
ーです。
精進に勝てる悪魔なし、精進に勝てるス
ランプなしです。
ですから、どのような精神的疲労を感
ずる時にも、コツコツと精進すること
です。
( 小桜姫のことばより )
私は、どんな宗教にも属していません。
自分の心の中にすんでいる「神様」を信じ、
毎日を淡々と生きている人間です。