2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 アカシヤの蜜を運べる蜜蜂の 巣箱の廻り花の香漂ふ この朝開店セールの店内に 「ベルリンの壁」入荷の放送が響く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 トンネルを抜けしまなかひに遠山郷の 盛る紅葉の山並の見ゆ 張り替えし障子に写る松の枝に 渡る小鳥の幾群れかあり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 餅を焼き大根を煮て瞽女達を もてなし居りし母の面影 隣り町へゆくがごとくに十日間の 海外出張を汝は告げ来ぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 モトクロスのあげる砂埃は地蔵峠の 芽吹きの木々を白く覆ひぬ 思ひゐし宇宙博に娘と来り 夢心地して「ミール」に乗り込む

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 雲海に浮かぶ富士山見下ろしつつ 願ひ叶ひて沖縄へ向ふ 箪笥の傷一つ一つに思ひ出ありて 移り住みし村々思ひて磨く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 海外勤務多かりし子は連休も 夏休みも帰省し吾を連れ出す 子等夫婦の干支の木目込人形を 生きし証に心込め送る

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 夫の分迄長生きせよと子等呉れし 電動ベッドに安らぎ眠る 諦め居し子規庵開けくれ六畳の はだか電球の下語られるを聞く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 ギフ蝶のヒメカンアオイの葉の裏に 産卵するをじっと見守る 幾度も監視に行きしギフ蝶の 卵盗まれ心淋しき

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 嬰児にはめられ居りし足の輪と 今日とれし臍の緒日陰干しする 大正池に並み立つ大小の枯木立 梅雨上がりの日に白く浮き見ゆ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 顔も見ず逝きたる夫の墓前に 帰国せし孫深々ぬかづく 吾が庭より移ししハナノキ紅葉する 傍らに朝々襁褓を干しぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 佐千夫先生の小説の舞台となしお蛇ケ池 雨に煙りてただに静もる 正岡子規名付けしとふ「無塵庵」 茅ぶき屋根より雫し止まず

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 心なき人の言葉も聞き流す 術も身につく年重ね来て ヒムロ誌に吾と同じく亡き夫を 詠める歌多しなべて寂しも

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 母に似し姉と語れば遠き日の 母の仕草の蘇りくる 大正池の枯木並み立つ遊歩道 うつぼ草の花いま盛りなり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 夫の分まで長生きせよと言ひくるる 娘等あれば命愛しまむ 逝きし兄に代れるものなら代りたしと 嘆き居し母の今日十四回忌

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 ギフ蝶をひと目この目で見たきものと 監視役に山に入り来ぬ 子等の幸は親の仕合せと言ひし母の 心を年経てわれも知りたり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 見事なる越前蟹の食べ方の 説明に始まる奥能登の宴 氷河時代の生き残りときくギフ蝶の 監視にきて見得し今日の喜び

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 小雪舞ふ輪島の朝市活気あり 頬かぶりせし女等逞しく商ふ 千里浜の松の並木の間より 見ゆる水平線にある船小さし

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 木曽見茶屋の峠に立てば若葉の谷を 猫柳の絮毛舞ひ上がりくる わが生きし歳と同じ昭和の世 遂に終るか三時間の後

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 門先の椿の小枝に脱皮する 蝉を幼と見守りてをり 在りし日に夫の植ゑたるハナノキの 木陰に憩ふ墓掃除を終へて

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 開店の焼肉店に赤提灯ともり わが近隣のさま変はりたり 永保寺の参拝すみしバスの中 時雨に濡れし落葉散らばる

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 足下から朝日が昇る下栗に立てば 南アルプスの山々せまりく 生き形見と笑ひくれたるエプロンをかけ 友の葬りの手伝ひをする

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 終り迫る兄の枕辺に刻々と 乱れ目に立つ心電図ああ 逝きし兄の一生思はせ照り陰る 日の下長き葬列続く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 在りし日に夫の植ゑたる紅まんさくの 紅葉を濡らし時雨過ぎ行く 旧姓の我が名を幼き字で書きし 物差し一つ今に残れり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 還暦を迎へてますます太りたる 姉の身ごなし母に似て来ぬ 上蔟の近づきしならむ隣屋より 蚕座の臭ひ風にのりくる

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 日本列島の中心点に立つと言ふ 生島足島神社に今日は詣でぬ 掃除機の塵に交れるわが白髪 冬の夕日に光りて侘びし

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 歌の道は一にも二にも努力なりと 先生は常々励まし下されぬ 命ある限り作歌を続けむと言はれし 先生のみ声耳に残れり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 老眼鏡かけて吾ひく広辞林 子等が引きたる傍線したし 先生の「続一日一詠集」が思ひ見ぬ 遺稿集となりてしまひぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 子の新居見ずに逝きたる夫の写真 持ち来て一週間は忽ち過ぎぬ ボランティアの給食サービス務め来て 疲れ覚ゆれど心足らへり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 娘等を頼ることより頼られること 多き今を幸と思ひぬ 心配をかけぬが何よりの孝行と 母に言はれしを吾も娘に言ふ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 庭苔にも心を配り汲み取りの ホース引く人穏やかなりき わが生れし年に植ゑられし飯田駅の 古き柳も伐られてしまひぬ