心が疲れてしまったら?


二十年前。
体の不自由な義母の世話をしていた私は、知ら
ないうちに自分の心が疲れているのに気がつき
ました。


義母は若い時から足が弱く、私が結婚した頃か
ら、外を歩かなくなっていました。
そして、二十数年前には、とうとう歩けなくな
ってしまいました。



その頃の義母の体重は、80数キロ。
おむつは嫌だといって、したりしなかったり。
そのため、家の中は、おしっこのにおいがたち
こめているといった状態でした。



その頃の私は、大好きな音楽を聞いても、大好き
な茶道をしても、大好きな花をみても、心が癒さ
れませんでした。
体が弱かった夫は、学校の仕事で精一杯。
義母の世話は、義父と私がしていました。
今考えれば、義父がいたから、自宅で十数年間義
母の世話ができたのでしょう。
義父がなくなってからは、私一人では世話ができ
ないので、施設でお世話になりました。



今日は、そんな時にであった小桜姫のことばを、
紹介します。
小桜姫といえば、浅野和三郎著「小桜姫物語」に
でてくるかたです。
私がその本に出会ったのは、今から21年前。
茶の本部稽古の帰りに立ち寄った東京の新宿の
書店でした。



その本は、昭和12年に発行された「小桜姫物
語」の復刻版でした。今のことばでかかれた本
ではないので、よみづらかったのをおぼえてい
ます。私は本が大好きですが、それまで「小桜
姫物語」のような分野の本を読んだことがあり
ませんでした。



その後、私はもう一冊小桜姫に関する本を読み
ました。その本の中に書いてあったことばを紹
介しましょう。


     心が疲れてしまったら?




1  反省


  反省することにより、心の曇りを
  とり除く。


  神の光を浴びることにより、マイナ
  スの霊気、邪気を追い払う。




2  希望

  
  希望の灯を、心にともす。



  希望はまさしく闇夜を照らす灯台
  光です。 希望がある限り、人間は
  何とかやり抜く力がわいてくるもの
  です。



  お金がなくとも、愛する人がいなく
  とも、人間は生命ある限り、希望を
  心に抱くことはできるはずです。





3  祈り



  精神的に疲労している時というのは、
  霊的パワーが減少している時です。
  霊的な充電が必要だということです。




  祈りという行為は、この地上界の人
  間と、天上界の高級霊との間を架橋
  する働きをするのです。




  祈りという名の橋が架けられて、初
  めて、高級霊の光のエネルギーが流
  れこんでくるのです。
  他力による光明パワーの充電がとても
  大切なのです。




4  不動心


  しっかりした重心を魂の奥底に持つと
  いうことです。 人間の心が、単なる
  振子のように揺れているのでは困りま
  す。




  あの起き上がりこぼしのように、どん
  なことがあっても起き上がるためには、
  しっかりした重心が必要です。



 
  この重心こそ神に対する深い信仰とい
  えるかもしれません。
  何であれその人にとっての重心を持つ
  ということが肝要なのです。





5  精進


  霧というものはじっとしていても晴れ
  るものではありません。



  霧というものは、前進これ前進に努め
  る時やがてうそのように晴れてゆくも
  のです。 常に前向きに努力精進して
  ゆくということです。




  精進はどのような停滞をも打ち破るパワ
  ーです。
  精進に勝てる悪魔なし、精進に勝てるス
  ランプなしです。



  ですから、どのような精神的疲労を感
  ずる時にも、コツコツと精進すること
  です。


     ( 小桜姫のことばより )


心が疲れはてていた私は、「小桜姫物語」を
読み、すくわれました。これらの二冊の本に
であわなかったならば、私の心はおしつぶさ
れていたかもしれません。



心が疲れてしまったら、花の写真をどうぞ。

  花がにっこりほほえんでいます。
 


花のほほえみ1

http://f.hatena.ne.jp/youko510/



花のほほえみ2

http://f.hatena.ne.jp/dowakan/