母の短歌

平成の歌27

師走の庭に早も萌え来しヒヤシンス 忽ち埋めて雪の降りつぐ 伸び立ちし碗豆に深々土寄せて 今年終の畑仕事終る 長く生きて仕合わせのみにあらざりしと 九十才の媼しみじみと言ふ 心なき人の言葉を聞き流す 術も身につく年重ね来て

平成の歌26

秋となる光の中に松葉ボタン 小振りとなりし花の咲きつぐ 正岡子規名付けしといふ「無塵庵」 茅ぶき屋根より雫し止まず 光り苔も見えざりし光前寺の 雨濡れ散る紅葉ばを拾ふ 台風に根こそぎ倒れし柿の木の 色づきし実の夕日に照らふ

平成の歌25

この朝開店セールの店内に 「ベルリンの壁」入荷の放送が響く 六時間車に揺られ共に来し 文鳥を少女は優しく労る 小林夫妻の歌碑のみの歌に在りし日の 労り合へる面影浮ぶ アスパラの藪を渡れる風いでて 輝きをりし露も消えたり

平成の歌24

舗装路の僅かの土に根を張りて マーガレットの花丈低く咲く 塩の道博物館に昔ながらの 塩舐むれば味まろやかなり 忽ちに掘り起こされし桑株を クレーン車の手が大きく掴む コップの中に優しき音たて溶けゆく 一万年前といふ南極の水

平成の歌23

梅雨明けの窓開け放ちしこの夕べ 素足に畳の感触清し 顔も見ず逝きたる夫の墓前に 帰国せし孫娘ふかぶかとぬかづく かへるなき過去を漸く諦めのつけば 下り来て庭に水まく 夫逝きし日のごと残暑厳しくて 韮の白花夕日に匂ふ

平成の歌22

世に在れば共に喜ばむ汝の帰国 マーガレットの花供へ告ぐ 水引きし田の面に映る夕つ日の きらめき薄れやがて消ゑゆく かしましき蛙の声にも耳慣れて 眠りをさそふ声となりきぬ 幾度も監視に行きしギフチョウの 卵盗られしと聞きてさびしき

平成の歌21

山野草好みし娘の植ゑゆきし ホトトギス萌えイカリソウ萌ゆ 亡き夫との思ひ出残る庭木々の 芽吹き愛しみしばし侘む 臼井川の流れにそひて登り行く 落葉踏む音峡間に響く 春となりし喜びの一つゼラニューム インパチェンスの花苗植ゑる

平成の歌20

み庭より惜しげもなく堀りくれし 貝母並み立ち萌え始めてきぬ 玄関に夕早くわが鍵かくる 慣しつきぬ夫逝きてより ギフ蝶の住める環境整へむと 蒔きしドングリの淡き緑萌ゆ ギフ蝶のヒメカンアオイの葉の裏に 産卵するをじっと見守る

平成の歌19

婦人会の新年会にも湾岸戦争の 話題にぎはひ会は長びく 朝々に廊下に吊るす玉すだれ 花芽つきしが障子に映える あきらめの心を持てば安らぎて 夕べの庭に松葉掃き寄す 活けをきし赤芽柳の莟の落つる かそけき音を一人聞きをり

平成の歌18

来春は帰国できると汝一家の クリスマスカードの寄せ書き届く しあはせを人の物差しで計るなと 夫亡き吾に兄は言ひたり 蝉がらのつきしままなるブライタルベール 冬越しさせむと部屋にとりこむ 霜柱崩るる音に耳澄まし 真昼の畑にほうれん草を摘む

平成の歌17

在りし日に夫の植ゑたる八つ手の広葉 染めて金木犀散り終りたり 十一月季節外れの台風に 散り残る満天皇も裸木となる 土竜おどしの音立て響く畑隅に 酒に醸さむよもぎ摘みをり 中空に七分に欠けし月食は 汝住む国からは如何に見ゆるらむ

平成の歌16

落ち柿の饐ゆる匂ひもしたしくて よけつつ木下を駅に急ぎぬ 朝夕に水かけ育てし春菊を 間引く背中に残暑きびしも わが庭より移しハナノキ紅葉する 傍らに朝々孫のむつき干す みどりごにはめられおりし足の輪と 今日とれし臍の緒を日陰干しす

平成の歌15

木漏れ日に浮きたちて見ゆ岩煙草 紫の花に亡き夫偲びぬ 母に似し姉と語れば遠き日の 母の仕草の蘇りくる 子等の幸は親の仕合わせと言ひし母の心を 年経てわれも知りたり 筆まめなりし夫の命日に娘夫婦 便箋とペンを供えて行きぬ

平成の歌14

花見むと来しユリの木の枯れがれて 根元に一枝伸び立つ緑 歌などは教へられるべきものにあらずと 詠まれし先生のみ歌心に沁みぬ 去り難く娘と立つ墓辺に在りし日に 夫の植ゑたるハナノキの花 梅雨明けて夏の日光の漲る庭 蝉のぬけ穴日毎増しきぬ

平成の歌13

一面のなづなの花を鋤き込みて 忽ち田の面の色変はりたり 病み後のろれつの悪しきを嘆きつつも 従兄弟は歌会でひたすらなりき 在りし日に夫の作りし玉しのぶ 赤き芽吹きの日に透きて見ゆ 春嵐過ぎし朝の裏庭に 散りばふ柿の若葉掃き寄す

平成の歌12

母のごと慈しみくれし君が形見 ヒマラヤスミレ今年も咲きぬ 欠詠をするなの先生のお諭しを 胸に九年励みきたりぬ わが庭の紫蘭の花も一つ葉も 先生を偲ぶよすがとなりぬ アストロメリアを買ひ来し今宵は この花の原産地に住む汝を思ひぬ

平成の歌11

照りかえす光眩しくシャーベット状の 雪かき分けてからし菜を摘む 間をおきて屋根より雪のなだれ落つる 音のひねもす庭に響きぬ 六時八分で止まりしままの腕時計 亡き夫偲び錆びしを磨く 二十年後の老に備ふると言う子等に 我にはかかる余裕なかりき

平成の歌10

白糸のレースのごとき蜘蛛の巣の 日にきらめきて霜のとけゆく セーターの仕上げを急ぐわが手許 今宵洗ひしセロリにほふ 鏡台も手鏡も磨きこの年の 暮れの大掃除漸く終る 立春を迎へし朝有線より 流れる「早春賦」ききて目覚めぬ

平成の歌9

防火用水を音立てて飲む野良猫の 痩せし背に秋の日のさす トンネルを抜けしまなかひに遠山峡の 盛る紅葉の山並の見ゆ 静まれる平岡ダムに影落し 飛行機雲の西に伸び行く 満天皇の落葉がくれに瑞々し 藪柑子の朱実色冴えて見ゆ

平成の歌8

新しきケースに移すコケシの顔 旅にまつはる思ひわきくる 里芋の揺るる広葉に影落し 番のトンボ群れて飛び交ふ こほろぎ一つはしる厨に幾度も 水替へて煮る栗の渋皮煮 夏疲れの特効薬と亡き母が 作りくれにき大根葉の胡麻和へ

平成の歌7

吾が膝にたまりし水と医者が示す 注射器の中の黄なる液体 逝きし兄に代れるものなら代りたしと 嘆き居し母の今日十四回忌 医者の身で五十才で逝きし兄の訃を 受けし日のごと郭公の鳴く 生漆の強く臭ふ工房に のみのさばきを息つめて見る

平成の歌6

行動範囲五十メートルときくギフチョウは 雑木林をゆるやかに舞ふ フロンガスに代る新製品の開発を 願ひつつ今朝もヘヤースプレーをする 幼な子の風邪の熱さましと石垣に 植ゑしドクダミの花白々と咲く 水ひきし田の面に反す夕光に 眩しく背を向け草をとりは…

平成の歌5

強まり来し夕べの風に土竜おどしの 赤白の風車音高く鳴る 蝋梅の香り漂よふ裏庭に 没らん日の光寂しみて立つ ギフチョウをひと目この目で見たきものと 監視役に山に入り来ぬ 氷河時代の生き残りときくギフチョウの 監視にきて見得し今日の喜び

平成の歌4

黄梅を寂しき花と詠みたまひし 先生を偲び花に向ひぬ 温かき日を背に受けて前畑に 今年作らむ花思ひをり 電気店のテレビに映る吾が姿 いさび見ゆれば背筋を伸ばす 急に逝きし友の作りしほうれん草 株張りし緑に冬の雨降る

平成の歌3

子の大学合格祈りて小さき石に 般若心経書きしも遠き思い出 わが生きし齢と同じ昭和の世 遂に終るか三時間の後 元旦の雨に濡れて艶めけり 亡き夫植ゑし万年青のつぶら実 株植のハナダイコンの葉をぬらし いつしか雪の雨に変れり

平成の歌2

桑の枯葉音たてて舞ふ農道を 日課のごとく足早にゆく 掃きよせるも松葉のみなる師走の庭 埃立つまでに白く乾きぬ スズランも岩煙草も素枯れし庭に 藪柑子の朱実色冴えて見ゆ おしなべて素枯るる中に在りし日に 夫の植ゑたる万年青勢ふ

平成の歌1

武田軍の狼煙をあげし跡地とぞ わが住む丘を遠く見放くる 庭隅に娘の植ゑゆきしスズランの 赤き実濡らして時雨過ぎ行く 戸締りを忘れし二階の部屋内に 十三夜月明るく照らす まとまらぬ歌を心に歩みゆく 夕べ枯葉の音たてて舞ふ

昭和60年代の歌38

霜下りる迄咲きつがむインパチェンス 切りもどしして追肥を与ふ ダイエットの話に弾む友等の中に 太りたるわれは言葉なくをり 夫の分まで長生きせよと言ひくるる 娘等あれば命愛しまむ 西日さす網戸につきし草の絮 光りて風に磨くひととき

昭和60年代の歌37

大正池の枯木並み立つ遊歩道 うつぼ草の花いま盛りなり 大正池に並み立つ大小の枯木立 梅雨止りの日に白く浮き見ゆ わさび畑の澄みし流れに緑を写し 夏の日ざしにきらめきやまず 還暦を過ぎて再び「恍惚の人」読めば 老いの悲しみ心に沁みぬ

昭和60年代の歌36

父君の葬りにも帰れぬ嫁に代り 心さびしみみ骨を拾ふ とう立ちて出荷のできぬ白菜が 畑に白く乾きて並ぶ 咲きつぎし紫蘭の花も終りたり 先生偲び夕庭に立つ 庭隅にはびこりしクラマゴケ 朝の木漏れ日にあやしく光る