事故から二年


横断歩道を歩いていて、車にはねられたの
は二年前。 何度も車がこないのを確認し、
横断歩道を渡っていたのに・・・。
それなのに、事故はおきた。
今もなぜ事故がおきたのか、よくわからな
い。




私をはねた人は、すごいスピードをだして
いて、しかも話に夢中になっていたらしい。
その為、横断歩道を歩いている私がわから
なかったようだ。




でも・・・ぶつかる寸前に気がついてくれ、
ハンドルをきってくれたので、命だけは助か
った。 もう一秒気がつくのが遅ければ、私
は死んでいたか、植物人間になっていただろ
う。 神様やご先祖さまが、私を守ってくだ
さったのだろうと思う。




はねとばされた私が気がついた時、わたしを
はねた車はどこにもいなかった。 
「逃げたのかな?」
そう思った。
数分後、駐車場の近くに、大型の車が止まっ
ているのに気がついた。
ひきかえしてきたのだろう。





交通量が多い場所なのに、なぜか事故のおこ
った五分間くらいは一台も車が通らなかった。
もし通っていたら、倒れている所をまたひか
れていたかもしれない。 観光地なのに、駐
車場にも人は一人もいなかった。 事故現場
は神社のまん前。 神様がみていただけで、
事故を目撃した者が一人もいないというなん
ともふしぎな事故だった。 




私は余りの痛さに体を曲げたまま、はうように
して駐車場へ行き、仕事の打ち合わせをするこ
とになっていたかたに、「事故にあい、打ち合
わせはできない」旨を伝えた。 そのかたがす
ぐ警察と救急車をよんでくださった。




駐車場のすみには、年取った日本人らしき人と、
外国の人が二人いた。 そして、事故のことを
大声で電話をしていた。 この三人の中の誰が
車を運転していたのだろうか?




「おまえが横断歩道など歩いているから、事故
がおこったのだ!!」
年とった日本人らしき人が、私にむかって、大声
ではきすてるようにいった。 





私は余りの痛さに呼吸もできずにいた。 しか
しその声を聞いたら、悲しくなって大声でない
た。 人をはねておいて、何をいうのだ。
私は何度も何度も確認して横断歩道を渡ってい
たのだ。 急にとびだしたわけでもない、それ
なのになぜそんなことをいわれなくてはならな
いのだろう。
むしょうに腹がたった。
そして、悲しかった。
なぜ私のそばにきて、「だいじょうぶですか」
とひとこといえなかったのだろうか?





その後の警察の調べで、年とった日本人らしき
人は、その車には同乗していなかったことが判
明した。 どういうことなのか・・・。 今で
もふしぎでならない。 





事故の次の日、私の前にあらわれたのは、20
代の外国のかたでした。 日本へはボランティア
できていて、住む所はあるが、お金は一銭もない。
だから、治療費は一銭も払えない・・・と。
強制保険に加入していたので、強制保険から治
療費を支払ってくれることになったけれど、保険
に加入していなかったら、どうしたのだろう・・・。




幸い、足・肩・肋骨の骨折・全身の強打撲だ
けですんだ。 内臓の出血も三日位はあった
が、心配することはないだろうといわれた。
骨の骨折は、自然につくのを待つよりしかたが
ないといわれた。 




治療といえば、鎮痛剤とシップ薬をくれただけ。 
医者へ行っても、骨がついたかどうかレントゲン
をとるだけ。 我慢できないくらいの痛みが3ヶ
月以上続いた。




事故後二ヶ月半くらいから、杖をつけばなんとか
歩けるようになった。 一生車椅子かな・・・と
思った時期もあったので、足をひきずりながらで
も歩けることは嬉しかった。 




しかし、肩の骨の方は、折れた骨がずれてしまっ
ていたので、なかなかつかず苦労した。 長い間
固定具をはめて暮らした。 現在も車の運転をす
る時は、固定具をはめて運転している。 





医者は「3ヶ月くらいたてばなおるでしょう」
といったが、事故から二年たった今も完治しな
い。 年をとってからの骨折だし、数メートル
はねとばされた為、全身を強く打撲したのが
ひびいているのかもしれない。 




杖なしで歩けるようにはなったが、今も足を
引きずって歩いている。 足や肩も痛いし、
長時間の車の運転や正座・しゃがむことがで
きない。 




でも、命を助けていただいただけでもよしと
しなくては・・・。 そう思って暮らしている。
完治するまでに後どのくらいかかるのだろうか?




こんな目にあったのに、私はなぜか私をはねた
人をうらむ気にはなれなかった。 かたことし
か日本語が話せない外国の人だったせいもある
かもしれない。





「本当にあの人があの車を運転していたのだろ
うか?」という疑問が、私の頭を離れないせい
かもしれない。