母の短歌

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 二輪草と九輪草の萌え確かむる わが背に春日温かくさす 若き日は思ひ見ざりし玄関の 上がり框に踏台を置く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 若き等の帰りし後のどの蛇口も きつく締められ吾は戸惑ふ 友逝きて空き家となりし塀の外 眩しきまでに水仙の咲く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 娘の部屋の鉢植ゑパパイヤ楕円形の 五センチ程の青き実つけぬ 泥んこになりて田螺を亡き兄と 競ひてとりし遠き日恋ほし

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 在りし日の友手作りの柏餅 また栗おはぎの味を忘れず 茶に呼ばれ往き来せし友二人逝き 心淋しき正月となる

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 畑隅に落葉を厚く被せ置きし 明日葉の緑日につやめけり 花作りと野菜作りを好みし友 草とりてゐし姿眼に見ゆ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 エコロジー進み来たりて二月より レジ袋五円の貼り紙目に立つ 満開の黄梅の花に雪の降り 氷雨に変はり暮れゆくが見ゆ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 財もなく夫亡く老いし吾なるも 宝と思ふこの子ども等は 干草を積める畑隅に黒き野良猫 今日も安らに昼寝してをり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 健やかに生れ育つを祈りつつ 曽孫のベビー服一式を編む 応募数十一万票より選ばれし 今年の漢字は「変」と決まりぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 正月も帰宅できずと病院からの 友の電話が別れとなりぬ 仕事も住む所も失ひて正月を 「派遣村」に過ごす人等思ひぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 都会育ちの嫁は声あげりんご園に 真っ赤なふじを籠一杯捥ぐ 正絹の紅白の布を斜めに裁ち 作りし薔薇の花の愛らし

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 物忘れ多くなりしを互みに言ひ 今宵の宿に湿布薬貼る 良き事の何かあるごと思ひして我はクローバーの五つ葉を摘む

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 天国に座す夫君と今頃は 何を語りて友は居ますや お互ひの家に寄りては共に手芸に 励みし友よ急に身罷る

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 ヒスイ峡の清き流れはきりたちし 明星山の岸壁に映ゆ 喜寿の写真を友は遺影と言ひ居りき 思ひ掛けずも今日は斎場に

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 蜀黍の生食できるピュアホワイト 甘味のありて栗の如しも 飯田より離り行くごと紅葉の 色濃くなりて小谷に向ふ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 頃合良く乾きし苦瓜にグラニュー糖 まぶせば干し菓子意外に旨し 山形の人等の好み食ふと言ふ スベリヒユ初めて芥子和へにする

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 畑隅に抜きても抜きても絶ゆるなき 十薬を冷蔵庫の脱臭剤に入れる 夏ばての特効薬とモロヘイヤ 厨に叩く音軽やかに響く

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 梅雨明けの庭に酸漿色づきて 姉と鳴らしし遠き日を恋ふ どくだみは受粉もせずに種子を作る 単為生殖なりと知りたり

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 体温と同じ暑さの今日一日 体気怠く意欲も湧かず 休耕の畑に壮年団の作りたる 馬鈴薯を袋に詰め放題で買ふ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 天竜の川風を受け新設の 船形の足湯に和ぎつつ浸かる 綿をつめ形整へし犬の縫ひぐるみ 眼付ければ尾を振るごとし

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 寒暖の微妙に変はるこの季節 ストーブと扇風機居間に同居す 一人靜二人靜の中に珍しく 三人靜の花茎立ちぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 逝きし娘の修学旅行の土産物 「孫の手」を今宵も偲びつつ使ふ ヒマラヤの岩塩層より掘りしとふ 薄紅色の塩甘くまろやか

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 海蛍は成長しても三ミリにて 寿命は僅か半年と知る 咲き盛るカモミールの花ハーブ茶に 色と香りを楽しみてのむ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 ハンドバックに夫の遺影を忍ばせて 子等に招かれ房総へ来ぬ 暗闇の瓶の中なる海蛍 電気ショックに青く光りぬ

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 吾よりも腕を上げしか娘の研ぎし 包丁とみに切れ味の良し 月面より昇る地球はまん丸く 青く輝き夢見る如し

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 食生活に心配りし一月に コレステロール正常となる 人間とは贅沢なもの新聞の 大文字に馴れれば当り前となる

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 アイロンを丁寧にかけて足らひをり リフォームして仕上げし手提袋を 蹲踞に乙女椿の花浮べ 春になりたる喜びとする

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 何か良き事ある如き思ひして 金緑色の玉虫を拾ふ 亡き父の筆跡懐かしみ今日も使ふ 昭和十一年旧姓の物差し

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 健やかに余生送らむと朝日浴び 貯筋体操日課に励む 新しき宇宙時代の幕開けと 「きぼう」より土井さんの喜びの声

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 軒先に列なる氷柱如月の 日に煌めきて雫し止まず 亡き父母を想ひて望む古里の 神の峰今日は黄砂に霞む

母の短歌

[母の短歌]追憶の風 我儘を許してくれと気楽なる 一人暮しを続け来たりぬ 読み進む「土屋文明の添削」に 劣等感の募り来たりぬ