洗濯物はぴーんと。


私は洗濯物を干すたびに、「洗濯物は、ぴ
ーんとひっぱってから、干すのだよ」とい
うおばあちゃんのことばを思い出す。



私はおばあちゃんが大好き。
おばあちゃんは、私が結婚して数年たった
頃なくなった。
なくなってしまっても、私はおばあちゃん
が大好きだ。 心の中で、いつもおばあち
ゃんと話をしている。 



おばあちゃんは何でもできる人だった。
特に、和裁は上手だった。
こんなに上手に着物をしたてる人がいる
かと思うくらい、綺麗な仕事をした。




私は幼い時から、おばあちゃんの家へ泊り
がけで何日も遊びに行った。
おばあちゃんにとって、私は初めての女の
子の孫。 だから、目の中に入れても痛く
ないほど、かわいかったのだろう。 
おばあちゃんは、30数年間、宝物のよう
に私を可愛がってくれた。




おばあちゃんは旧家に生まれ、旧家へ嫁いだ。
嫁いだ先は農家だったので、大変だっただろ
うと思う。 




たんぼや畑も広かったし、蚕もたくさん飼っ
ていた。その上りんごや梨なども作っていた。
若い時には、体の不自由な姑の世話を、何年
もしていた。



 
そんな中で、おばあちゃんはいつも家の中を
きちんと整頓し、きれいに掃除してあった。
廊下などは、ぴかぴかにみがいてあり、顔が
うつるほどだった。 おばあちゃんは、いつ
家の中を綺麗にかたつけていたのだろうか。




晩年、「陽子、タンスの二段目の左の端に、
襦袢があるからとっておくれ」というので、
タンスの中をみると、若い時と同じように、
タンスの中がきちんと整理されていた。
おばあちゃんはとても几帳面な人だった。
私とはおおちがい。
見習わなくては・・・。




おばあちゃんの末っ子が、私の母。
その母が、幼い頃の話。
ある日、母が誰かにいじめられて泣いて帰
ってきたら、
「人にいじめられてなくやつがあるか。いじ
められたら、やりかえせ」といわれたらしい。




あの心の優しいおばあちゃんが、そんなこと
をいったとは・・・。
大切な我が子がいじめられ、くやしかったの
だろう。




そんなおばあちゃんのことが忘れられず、私
は三冊目の童話「ふしぎな鈴」に、おばあち
ゃんの思い出を書いた。 おばあちゃんとお
じいちゃんの思い出を、その本の中へ書いた。



童話「ふしぎな鈴」は、今長野先生が挿絵を
描いてくださっている。
ぼつぼつ挿絵が完成する頃だと思う。
五月頃には、本が完成するのではないかと、
楽しみにしている。
どんな本ができるのだろうか。